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『城の埼にて』を読んで

高校1年 R・Tさん

 これは作者自身の話だ。作者が電車にはねられて、入院していた時の心情をつづったものだ。これを読むと「死」についてとても考えさせられる。

 はじめ、作者は死に親しみをもっていた。静かで、誰の声も聞こえない、病室と同じ状態だったからだと思う。それかぎりぎり死ななかっただけでいつ死ぬかなんて分からないと思い、死を近くに感じたのだろう。私は今まで幸いにも大きなケガをしたことがない。入院したことだってない。だから、死に親しみが起こったりする作者の気持ちが分からなかった。それに、何故死ぬことが怖くないのだろうかと思った。

 ある日、作者は川の周りに人だかりを見つけた。そこの人たちは大きな鼠を川になげ込んだのを見ていた。しかも鼠の首には魚串が刺しとおされていた。鼠は助かろうと一生懸命だけど、見物人は石を投げたりそれを見て笑ったりしていた。作者はそれを見て初めて気がついたのだ。「死後の静寂に親しみを持つにしろ、死に到達するまでの動騒が恐ろしい」本当にそうだと思った。鼠だって頑張っても結果は同じなのに、死にたくないと必死に抵抗した。それは人間でも同じことが言えるだろう。死ぬことは恐ろしいのだ。必ず苦しいものなのだ。

 私は昔マルという犬を飼っていた。マルは、すごく長生きした。でも、そのぶん苦しんだ。もう年寄りだったから、何度も発作を起こしたりした。”死に到達するまでの動騒”とはそういうことなのだと思った。そして、その死ぬまでの動騒の間に、私だったらどうするだろう。死ぬのを静かに待つのだろうか。そんなことはない。できるだけ死なないように、少しでも長く生きられるように、手術をしたり点滴をうったりするはずだ。それは、鼠がしていた必死の抵抗と同じだと気づいた。

 それからしばらくして、作者は蜘蛛を見つけた。蜘蛛を驚かそうとして石を投げた。そうすると、その石が当たって、蜘蛛は死んでしまった。蜘蛛に石が当たってしまったのは偶然だった。作者は自分と蜘蛛を重ね合わせた。「自分は偶然に死ななかった。蜘蛛は偶然に死んだ。」

 人間も動物もいつかは死んでしまう。その”いつか”はいつなのか分からない。みんな偶然生きている。そう思うと少し寂しい気もした。なぜなら、今まで生きているということは必然だと思っていたからである。自分は、何かやらなければいけないことがあって生きていると思っていた。でも違った。私はたまたま生きているだけだった。それから、少し寂しいと思うと同時にすごい、と思った。この地球でたまたま生きている私と、たまたま生きている生き物に出会えることはすごい。偶然に偶然が重なって、出会いや別れがあり、生きている。『君と僕が出会えたことは奇跡だ』なんてよく歌詞などに出てくるが、それの本当の意味が分かったような気がした。それから、偶然に生きているのだから、いつ死ぬのかも分からない。私はもし死ぬ時は自分とか、その周りの人に感謝して死にたい。もし嫌いな人でも感謝できたらいい。だから私は一つ一つの出会いを大切にしようと思った。そして、一日一日を大切にしようと思った。