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A・Tくん
「変化」
一年前、私はオーストラリアに二週間の語学研修に行きました。その時にホームステイをした家には、中国人と韓国人が一人ずついました。私はホームステイをする以前、正直なところ韓国や中国に偏見をもっていました。メディアを通して見る彼らは、完全に日本人のことを嫌っていて、まったく友好的ではなかったからです。でも、その考えはホームステイが終わるころには一掃されていました。そこにいた二人はとても優しく親切で、私は毎晩彼らと話しこんでいました。その時に中国人が私にこう言いました。
Do you like Chinese and Korean? 私は正直この答えを出すことにとても悩みました。でも自分の口からは自然とYes. という言葉が出ていました。これ以来私は中国や韓国に対する偏見がまったくなくなりました。
そういう心境で韓国研修旅行に臨めたことはとても大きかったと思います。嫌いなものを好きになるのは難しいけど、好きなものならどんどん好きになっていけます。
そんな心境で行った韓国では、出会う人間、食べている物、市場や交通のシステムなど全てが日本と異なっていました。その中で1つとても印象に残ったことがあります。それは、韓国の人たち(特に年齢が高くなるにつれて)が、とても上手に日本語を話しているということです。日本人である自分が聞いても上手だなと思うくらいでした。買いものをしたり道を聞いたりする時はとても助かりました。ただ韓国にいるときには気付きませんでしたが、今考えてみればこれはとても悲しいことだと思います。
日本は100年ほど前に韓国に侵略し、併合しました。その結果,一時期,韓国の人たちは自分達の国の言葉を奪われました。今では韓国語は韓国人独自のものとして戻りました。一部の人たちはこの戦争のせいで日本を恨んでいると思います。日本では、一年前の自分にように,日本への恨みをもつ人たちをメディア越しに見たときに抱いた感情をもつ人はたくさんいると思います。それは仕方のないことかもしれませんが,時間があれば解決できる問題だと思います。
現在、私はその中のひとりには入っていません。これはとても大きなことだと思います。そして、これも全て体験したからこそ思えることであって、一年前の自分ではとても考えることのできないことだと思います。だからこの二つの国での経験にとても感謝しています。
小さい考え方しか持っていなかった私が少しだけ大きな考え方を持てる人間になれてよかったと思います。
楽しいとか,うれしいといった感情もありましたが、こういう風なことを考える機会ができてとても充実したものになりました。
「線」
限られた時間の中で得られたものはものすごく小さいものでした。でもその小さいものの中でとくに印象に残っているものがあります。それは三日目に行ったDMZ(非武装地帯)です。少しでも北と南の戦闘をなくすために作られている場所ですが、なぜこれが必要なのでしょうか。そのことについて考えました。
例えば、日本を西と東の二つの国に分けるとします。あなたなら西と東のどちらを選びますか?選ぶ権利すら与えられなく、強制的に西と東に分けられ、その地で一生を過ごすとしたらあなたはどうしますか?もちろん東の人は西の人と会うことはできません。西の人も東の人と会うことはできません。その状況で東と西の間で戦争が起きてしまったとして、自分が東、大切な人たちが西にいたとしたら、あなたは戦うことができますか?ドイツ,ベトナム,そして朝鮮半島。これらの国や地域は悲劇としかいいようのない惨劇を味わってきたと思います。あなたにその人たちの気持ちを理解することができますか?
自分は今の問いに対して多分答えることはできないと思います。むしろ自分は答えてはいけないとすら感じます。日本でも70年ほど前に戦争がありました。でも自分はそれを知っているが,実際に味わったことはない。現在も世界のいろんな場所で戦争は続いていて、自分と同じくらいの年齢の子どもたちが戦争に参加して死んでいます。そういう人たちを減らすためにも休戦の証であるDMZは必要な場所だと思います。
逆にDMZがあるということは残念なことでもあると思います。この場所が存在する限り、北と南の戦争は終わりません。だからいつかこのDMZがなくなる日がくることを心から願います。自分の知らないことに少しでも触れられる体験ができたことはとてもいいことだと思っています。これは韓国に行ったからこそ考えることができたものです。しかし,北朝鮮に行ったならばどういうふうに思うのか。それについても考えさせられました。
今の自分は,飢えも,戦争も,孤独も,恐怖も本当の意味では味わったことはありません。だからといって,喜び,楽しさ,うれしさといったものを味わったことがあるというつもりもありません。今の自分にはこのような問題を解くことはできないと思うし、解いたとしてもそれを「答え」という位置に置いてしまっていいのかわかりません。でも死ぬまでにはこの問題を解いて,ひとつの「答え」を自分の中に位置づけないといけないと思います。
今回の体験で,その「答え」に一歩でも近づいたかもしれないし、遠のいたかもしれない。でも自分の中ではDMZに対する思いは大切にしておきたいと思います。