2022/09/11

ある職員との会話

お休みのひと時をいかがお過ごしだろうか。

先日、本校の職員から
「校長先生のブログ、ほぼ毎日読ませていただいています。夏休み中に掲載された『母の笑顔』の5回シリーズは、次の日の掲載が待ち遠しかったです。読みながら、ボロボロ泣きました。」といったご感想を頂戴した。

私は、「あれはねえ、母に対する『懺悔録』のような意味合いで書かせてもらったのですよ。今から思えば『親のココロ、子知らず』そのものでしたね。彼女はホント、誰にでも無私の心で接していましたからね。」と答えた。さらに、

「ある時、泥棒に入られたときも『まあ、この人にもたいへんなことがあったのやろうね』と他人事のように語っていました。決して裕福な家庭でも何でもないのに、こんなことを語る母を、当時の私は全く理解できませんでした。

そんなおおらかで、前向きな母に、私はどうしてあんな素気(すげ)無い態度しか取れなかったのだろうって、ずっと後悔しています。こうして、読んで下さる方がいらっしゃることに感謝します。ありがとうございます。」そんな話をした。

現在、我が子も巣立ち、新しい家庭を持ちながら東京暮らしの忙しさ。自分がそうであったように、当然親のことは後回し。子育てや仕事や休暇といったことで、ほぼ1年の大半が埋め尽くされる。そこに親が入りこむ余地はない。

「でもね、亡くなってから気付くこともたくさんあるんですよ。父や母が残してくれた無形の残像に、支えられることも多いのですよ。」そんなことを語った。

長い人生で、子どもと過ごせる時間は、とてつもなく短い。子どもと過ごせている時間に感謝。親と過ごせている時間に感謝。だけどそこには、過ぎ去った後でしか気付けない「もどかしさ」がいつも付きまとうような気がする。