2024/03/18

中学卒業式式辞をお送りします

本日は中学卒業式での式辞をお送りする。少し長くなるがお付き合い願いたい。
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桜の花がつぼみを膨らませようとしている、そんな穏やかな日に、こうして中学3年生の皆さんと卒業の時を迎えられることを大変嬉しく思います。卒業生の皆さん、ご卒業誠におめでとうございます。また、今日まで影ながら支えて下さった保護者の皆様。ご子息、ご息女のご卒業、誠におめでとうございます。高いところからではありますが、ここまで本校の教育に理解、ご支援を賜りましたことを篤く御礼申し上げます。また、ご来賓としてご臨席賜りました皆様、御多忙の中お越し賜り篤く御礼申し上げます。ありがとうございました。

さてまずは今一度、中学の卒業式の意義に関して、お話ししましょう。多くの人たちが、本校の高等学校にそのまま進学されますから、卒業式は必要ないんじゃないかと思っている方もいらっしゃるかもしれません。しかしながら、皆さんの中学生活を振り返ってみてください。ここに至るまで、決して自分ひとりの力で生きて来られたわけではありません。実に多くの人たちに支えられながら、時には迷惑を掛けながら、それを許してもらい、こうしてここまでやって来ました。中には、あなたの知らないところで、涙流した保護者や先生方もおられるかもしれません。あなたの成長には多くの人たちが関わってきたのだということを、皆さんに知ってほしいんです。これまでお世話になった人たちに感謝の思いを寄せることは、人としてとても大切なことだと思います。そういった時間と空間の共有が、この中学の卒業式の意味だとご理解ください。

さて、皆さんにとってこの3年間はいかがでしたか?コロナがほぼ終息しかけている社会状況の中で、多くの学校行事をだいたい予定通り実現することが出来たかと思います。皆さんが中学3年生の最高学年になって、中学全体を牽引してくれた「合唱コンクール」や「体育大会」。「生徒会活動」や「総合学習発表会」などは、いい意味での後輩への手本となってくれました。伝統を次に継承してくれたと思っています。これは、誇るべきことです。本当にありがとう。

ところで、近頃話題のスタジオジブリの映画、「君たちはどう生きるか」という作品。ご覧になった方もいらっしゃるかもしれません。これは、宮崎駿氏の自伝として作られた映画だそうです。この「君たちはどう生きるか」という問いに対し、この作品では、「善意の継承」。これからの若い人々に、これまでの善い行いを、伝統として受け継いでいってほしい。そんなメッセージがあったように私は受け取りました。

そして、私は改めて今から100年ほど前に出版された吉野源三郎氏の「君たちはどう生きるか」を読み返してみました。映画とストーリーはまるで異なりますが「どう生きるか」という作者の問いかけに対する回答は、やはり人としての善意、善い行いというものの大切さが描かれています。

では、「善意」はどのようにして獲得されるのでしょう。吉野氏は、日ごろの我々の生活態度に注目しました。

皆さんも、「地動説」や「天動説」という宇宙空間に対する考え方を聞いたことがあるでしょう。もともとの人々の考え方は、地球を中心にして、空の星は全て、地球の周りを回っているという、「天動説」の考え方でした。それに対し、コペルニクスは、太陽の黒点の位置を観察しながら、地球こそが太陽の周りをまわっているのだという「地動説」に辿り着きました。

ここで、吉野源三郎氏の「君たちはどう生きるか」の本文を少し引用したいと思います。原作の主人公はコペル君という少年で、叔父さんが、この少年にコペルニクスのような、広い視野を持った人間になってほしいという願いからつけられた呼び名です。叔父さんの教えを引用します。

子どものうちは、どんな人でも「天動説」のような考え方をしている。自分を中心に様々な説明をなそうとする。それが大人になると、多かれ少なかれ「地動説」のような考え方になって来る。広い世間というものを先にして、その上で、いろいろな物事や、人を理解していく。だけど、人間がとかく自分を中心として、ものごとを考えたり、判断したりするという性質は、大人の間にもまだまだ根深く残っている。いや、こういう「自分中心の考え方」から抜け切っているという人は、実に稀なのだ。殊に、損得に関わることになると、自分を離れて正しく判断してゆくということは、非常に難しいことで、こういうことについてすら、コペルニクス風の考え方の出来る人は、非常に偉いと言っていい。大概の人が、手前勝手な考え方に陥って、ものの真相が分からなくなり、自分に都合の良いことだけを見てゆこうとするものなんだ。

もう少し引用を続けます。

しかし、自分たちの地球が宇宙の中心だという考えにかじりついていた間、人類には宇宙の本当のことが分からなかったと同様に、自分ばかりを中心にして、物事を判断していくと世の中の本当のことも、ついに知ることが出来ないでしまう。本当のことは、自分中心の考え方をする人の眼には、決して映らないんだ。宇宙の大きな真理を知るためには、自分ばかりを中心にする考え方を捨てなければならない。それと同じようなことが、世の中のことについてもあるのだ。

吉野源三郎氏の言葉は、いかがでしょうか。本当のことを知る、正しいことを得るためには、自分ばかりを中心にしていては決して捉えられない。人間の正しい行動、宮崎駿氏の言う「善い行い」とは、広い世界の中に自分の身を置いて、自分中心の考え方を改め、いろいろな考え方に目を向けることから生まれる。逆に言えば、自分中心の考え方を推し進める人に存在するのは「悪意」でしかない。広い視野から生まれる「善意」を心に持って生きる。それが「どう生きるか」ということに対する回答である。これが、吉野源三郎氏が私たちの残してくれたメッセージです。

これから高校生活を過ごすに当たり、「どう生きるか」ということが、皆さんひとりひとりに問われます。皆さんだけではありません。大人である我々にだって、「あなたはどう生きるのですか?」ということが問われているんです。「善意」は、自分中心の立場から離れて、いろいろな考え方に目を向けることから生まれ、その善意の継承こそが、「どう生きるか」で問われていることのように思います。我々誰もが後輩に対して、自ら「善意の継承者」として、彼らのお手本となりたいものです。

さあ、これからの高校生活が皆さんにとって、充実の青春の時間であることを祈念し、ひとことご挨拶を差し上げました。皆さんご卒業、誠におめでとうございます。