2023/06/05

本質は瑣事(さじ)に宿る2023

本日より本校卒業生が教育実習を受ける。2週間もしくは3週間で、将来の自らの適性を見極める。私も2週間の教育実習を受講したが、あまりいい想い出は無い。ほろ苦い実習であった。

さて、本日は「防災訓練」も実施される。毎年訓話のテーマは「本質は瑣事に宿る」を掲げている。今、準備していることは昔読んだ吉川英治氏の「宮本武蔵」。武蔵が剣術を極めようと、奈良の山奥の柳生一族の剣の達人、柳生石舟斎に教えを請う場面。

なかなか石舟斎に会わせてもらえず、宿舎で幾日も無為な時間を過ごす。ある日、女中が一輪の菊の花を活けて武蔵の部屋に飾る。武蔵は、その菊の茎の切り口の鋭さを見て、これが石舟斎の返事だと悟る。石舟斎が自らの剣で茎を切ったのだ、と。

すぐに武蔵はその一輪挿しの菊を手に石舟斎を訪れ、教えを請うと、石舟斎は快く受け入れたという話だった、と記憶する。つまり、たかが菊の一輪だけれど、その切り口にこそ、真意は隠されている。それが見抜けぬようでは、剣術を学ぶに値しない。

「本質は瑣事に宿る」と少しずれるかもしれないが、菊一輪の切り口の見極め。この瑣事に、物事の本質が隠されていると言えるのではないか。それが見抜けるか。そんなことを話そうと思っている。