2023/12/15

赤穂浪士の討ち入りの日でした

元禄15年12月14日(1703年1月30日)、赤穂の浪士が、吉良上野介の屋敷に討ち入った。いわゆる「忠臣蔵」の討ち入りである。元禄14年3月14日、江戸城内、松の廊下で浅野内匠頭長矩(ながのり)が、吉良上野介義央(よしひさ)を切りつけた刃傷(にんじょう)事件に端を発する。
 
説明するまでもない有名な話だが、刃傷事件を起こした浅野内匠頭が処刑され、お家断絶となる。このことに不満を募らせた赤穂四十七士が、大石内蔵助を筆頭に、殿の無念を晴らすべく吉良邸に討ち入りに入る。それが、昨日12月14日。
 
刃傷事件から討ち入りまで1年以上の時間を要す。この間、周到に準備を進め、吉良上野介義央の討つための計画が練られる。赤穂の武士300名ほどの中で、わずか47名だけが討ち入りに参加。そして、討ち入り後、それらの浪士も落命。文字通り命がけの仇討であった。
 
義に生きた赤穂の浪士の魂に思いを寄せることは無論であるが、この四十七士に参加できなかった赤穂の武士の様子も大変趣深く感じた。その辺りの事情は、井上ひさし氏の「不忠臣蔵」という作品に収められている。
 
氏独特のユーモアを交えながらも、参加できない事情が、鮮やかな人間模様として描かれている。いずれにせよ、昨日は赤穂浪士討ち入りの命日。各地で供養されたというニュースが流れていた。また、機会を見つけて、赤穂の地を訪れ、落命した浪士たちに手を合わせたい。合掌。